英国菓子について


プリン、ムース、ショートケーキ、マドレーヌ・・・、日本人が好むお菓子はたくさんある。
しかし、このどれもが「英国菓子」ではない。
それだったらと、デパートや特選街で売っている、フルーツケーキなら、と探しても、
残念ながら、英国式のフルーツケーキはまずお目にかかることはない。

そこで、これならば!とスコーンを買ってみれば、英国で親しまれてるスコーンとは
まるで異なるものである・・・。

つまり、「英国」とか「紅茶」とか「アフタヌーンティー」というキーワードや言葉が、最近
よく見たり聞いたりする機会が増えたのだけれど、名前や形が「~風」であって、
(日本の得意技ではあるがーーー) どこの外資系のホテルに行っても、本場や本格的
な英国的なアフタヌーンティーに出会うことは出来ない。

もちろん、お茶とサンドイッチ、数種のお菓子が3段トレイに並べば、見事な「それ風」
であるが、英国のアフタヌーンティーの本質は、「形式」や「表現」だけではないのだ。

しかし残念ながら、本国英国でも今日、日本や他国と同じ様な変化を遂げているのも
事実なのだ。
その位、アフタヌーンティーは近年ではホテル等の重要なトレードマークやビジネスと
しての集客の役目を果たしてもいるのだ。


さて、英国菓子を目で見ると、じつに「地味」で「カッコ良くない(ダサい)」と一見思う。
赤や金や緑色もなければ、チョコレート細工の巧妙な技術も見えていない。
おおよそ「茶色」で、なんとも「イケていない」のだ。
(もちろん全部でなく、きれいなもの、凝ったものも実はけっこうある)

日本人は繊細で美しいもの好きだから、お菓子もやはり「美的」でないと…。

そう、だから日本人の好むお菓子は見た目も美しい、羊羹、最中、葛餅、饅頭、桜餅…、
そうどれも小豆やもち米で、赤・緑・金・・・、
いやいや、どれも色が単調でダサくて、美しい技巧のフォルム、あれ・・・。

それなら、季節を表現した生菓子がある。。
しかし上記の意味するお菓子とは異なる分野のような。。。

雑誌などメディアで取り上げられる見た目にカッコ良いお菓子ももちろん良いと思う。
しかし、羊羹や最中、餅菓子、葛菓子など、見た目というよりは、材料の選択から
下ごしらえの丁寧さや経験からくる見極めの瞬間など仕事の匠さ、繊細な目に見えない
技術、そして受け継がれてきた味わいなど、その見た目とは異なる凝縮された美しさの
蓄積が、やはり名店や美味しいお菓子の差となっている事に気付く。
そして添えられた一杯の日本茶やほうじ茶などが、どれほどそれらの美味しさを増し、
完成された世界に誘われることは、誰もが知ることだろう。

そこに風習・習慣を交えた伝統が食文化として生き続けている。

英国菓子もまた同じなのである。

忙しい時間との競争と日々のストレスを抱える日本人の心に、これから新たな喜び
を伝え教えてゆけるのは、親しまれてきた日本のお菓子であり、同じように一杯の
紅茶とともに過ごす英国菓子の豊かさでもあるのだ。

表面的や形式的な部分、そしてファッション性や話題性に惑わされて、いつでもふわふわ
と浮遊する個性や自分らしさも結構だが、これからの日本人に求められるのは、自分自身
の評価をきちんと基本や本質を学んだうえで、一つ一つ丁寧に判断できるようになる
ことだろう。

それには誰かが評価した流行りのものを追いかけるのではなく、その奥底にある本質
と絶対的な骨格を理解しようと努力する姿勢が重要なのだろうと思う。

そうしたら簡単に誰かの努力や表現を批評したり点数をつけるような評価をするなど、
怖くて恥ずかしくて出来なくなるのだろう。
(もちろん怠慢や、流れの中に安泰と思い身を置いてる者に対しては別の話だが)

だからこそ、他国の文化を仕掛ける時は、それなりに大切なことを学んでから、真摯に
責任を持った上で、手をだしていって欲しいと切に願うのである。
日本の文化を外国で勝手に表現され、それにその国の人々が本国の重さや深さを
批評されたり、理解されたつもりになられたら、イヤではないだろうか。


たかが英国菓子、されど英国菓子なのだ。

幹にあるものさえ理解すれば、あとはそれぞれが自由に表現すればよいと思う。

そういった意味でも、私達の活動は、英国菓子を通じて、他国の文化或いは自国の
文化に襟を正して真っすぐに向き合うきっかけを伝えてゆきたいと願う。

英国菓子は、実はそんなたいせつなものが閉じ込められた宝物でもあるのだ。



2017年7月
小澤桂一




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